バーデン・パウエル (Baden Powell)
ブラジル ギター奏者 作編曲家
バーデン・パウエル(1937〜2000)はリオ・デ・ジャネイロ生まれ。
(本名はバーデン・パウエル・ヂ・アキーノ)父はバイオリニストで
ピシンギーニャとも演奏した仲。このような音楽的に恵まれた
環境で生まれ育ったバーデン・パウエルは7才でギターを始める。
15才でプロデビューしたバーデン・パウエルはナイトクラブ等
で演奏している傍ら、「サンバ・トリスチ(悲しみのサンバ)」を
製作する等着々とその才能を開花させていった。
1960年代ブラジルにボサノバの一台ブームが巻き起こった。
バーデン・パウエルも
アントニオ・カルロス・ジョビンやジョアン
ジルベルト等とムーヴメントに参加。初期のボサノバに大きな
影響を与えた。特にボサノバの創始者の一人でもある外交官で
詩人でもあるヴィニシウス・ジ・モライスとバーデン・パウエルは
共鳴し、ヴィニシウスの家に篭り共同で作曲活動を行うという
ことも行った。この時の作られた楽曲数は実に20曲にも及び、
「宇宙飛行士」など誰もが知る珠玉の名曲が名を連ねている。
1963年からはパリ赴任のヴィニシウスとともにフランスへ。
1年後に帰国し「ア・ヴォンタージ」を録音。その後はバイーア
へ向かいアフロ・ブラジル文化への接触を図るようになる。その
結果生まれたのが1966年発表の「アフロ・サンバ」である。
「ビリンバウ」や「オサーニャの歌」等の歌はこの産物である。
また、パリ駐在時にヴィニシウスが知り合ったピエール・バルー
がブラジルを訪れ、バーデン・パウエルを含め交流を深めたのも
この時期のようだ。映画「男と女」のテーマ曲の原曲はここで
生まれることになった。
1960年代後半になると活動拠点をヨーロッパに移し、以後
20年近くにも渡る欧州での生活が始まる。バーデン・パウエル
はここを拠点に世界各地を回り、多くのファンを魅了した。
1970年代後半は体調面の理由で音楽活動は下火になったが
1979年の帰国と共に第一線に復帰。壮大な世界観は聴く者
を魅了した。しかし大量の飲酒や喫煙はバーデン・パウエルの
体を激しく蝕んでいた。バーデン・パウエルは2000年63才
の生涯を閉じることになった。
![]() Solitude on Guitar |
アルバム全体を多い尽くす、切なく物悲しげで、それでいて甘美な空気。淡々と続くギター・ソロ。これこそ「Saudade(サウダージ)」なのだろうか。ドイツの地で感じさせられたこの情念は望郷の念に駆られてますますつのっていったのではなかろうか。 詳細ページは → こちら 購入ページは → こちら |
Baden Powell - Violão Brasileiro
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Tbありがとうございました。私はあまり深い知識がないので、
勉強になります。今後ともよろしくお願いします。
自分もあまり詳しくはないのですが調べながら書いています。こうして一つのノルマのようにしながらブログを書いているうちに詳しくなっていけたらと、思っています。
中南米音楽は本当に残念ですね。CDコンサートの方に、行ってみようかなあと思っています。
こちらはとても丁寧に作ってあって、すごいページですね。脱帽です。これからも楽しみにしています!
小売はネット販売のみになってしまいましたが、フリーペーパー「MPB」を始めケペル木村さんのブログもスタートし、ますます活発に情報発信をしていくであろう中南米音楽には期待しています。でも、本音は店舗閉鎖はやっぱりさびしいです。
拙ブログは広く浅すぎないように書いています。よろしかったらまたいらしてください。